六 内心の裏切り 二三歳の幼い子供を背負うた三十歳余の婦人が、窶れた姿をして哀れな御詠歌を歌いながら門口に立った時、私は その御詠歌の哀れに感ずると共に、その婦人の境遇に同情の念が湧いて、気の毒に堪えられなくなった。それでしば らくその歌うのを聞いていた後、わずかの金銭を与えてやった。翌日もまた同じように私の門口に立って御詠歌を歌 うた。この婦人にはどう考えてももう夫はないらしい。きっとこの不憫な子供を遺して死んでしまったのに相違ない。 毎日こうやって覚えた御詠歌をたよりに彼処此処を巡っては、貰うたわずかの金に子供を養いつつ自分の生命を繋い でいるのであろう。私はこう思って独りで泣いた。こんな人をどうかして助けてやることが出来たら、そして如来の 御心を幾分でも知らしてやったらと、そんなことまで思いながら黙って聴いていた。そして一銭くれてやった。彼女 は「ありがとう」と言って頂いて行ってしまった。私は行った後でもいろいろと彼女のことを考えた。何か他に仕事 もありそうなものだ。ああやって毎日哀れな御詠歌を歌って歩いて、それで一日何程貰うのだろう。やはり仕事をす るよりもあの方がいいのかしら。自分でもやはり哀れだと思っているのだろうか。どんな気持ちで日を暮らしている のだろう。私の心はしばしの間彼女のために奪われていた。 二三日経ってまた彼女は私の門口に立った。今度はもうそれほどには思わなんだ。そして同じように一銭与えて返 してやった。彼女もまた同じように「ありがとう」と言って去って行った。二三日を経てまたやって来た。隣りの門 口には一遍も立ったことのないのに、私の門口にはその後幾度となく立って歌う。私は厭になった。こいつはたまら ぬと思った。どうもこんな奴は二三度くれてやると、いつでもくれるものだと思って何遍でもやって来る。もうくれ てはならぬ。こう癖になってしまっては自分の方がやり切れたものでない。こう思って私は妻に「もう捨てて置け」 と言って、くれてやらなかった。彼女は長い間門口で歌うていたが、こちらがいつまでも相手にならぬのでとうとう 黙って行ってしまった。その後、大分経ってまたやって来たが、後にはもうあまり来なくなってしまった。 彼女は大方私の無情なのに愛想を尽かしたのだろう。私は後で初めて自分の薄情なのに気が付いて恥かしくなった。 何という果敢ない心根であろうか。あれまで同情の念に駆られて哀れや不憫やと思ったのが、わずかに五六遍同じこ め一銭を与えた時には自分一人が同情ある者のように思って、隣り近辺の人達の無情なのをさえ心密かに蔑んでいた とを繰り返さるると、もう私の心は情知らずの心になって、鬼にも勝った恐ろしい思いにかき乱さるるのである。初 のであった。そして自分自身にも真実同情の念から恵んでいるのだと思っていた。それがわずかに五六遍の後には、 もう癖になるとか、図太いとか、飛んでもない心を起こして一銭の金をすら与えず、そのまま情けなくも追い返して しまったのである。私の同情は五銭か十銭でもう消えてなくなるほど果敢ないものであった。仏の顔も三度というこ とがあるが、これは実に私のことを言い顕した言葉である。私の胸に起こるところの誠というは、三度なでらるれば もうたちまち仏が鬼に化するのである。可哀想と思った心が誠か、憎いと思った心が誠か、真実の私はどうしても綺 麗なものとは思えないのである。鬼が私の本性である。私の涙は、それがたとえ立派な心から出ているようであって も、つまり鬼の涙である。こんな情けない恐ろしい本性を持っていて、それで他人の冷酷を憎んでいたことを思えば、 いまさら申し訳のない慚愧の念にうたれるのであります。 しかるに如来はどうであるか。無始以来、逃ぐる私を追い詰めて、どこどこまでも見捨て給わずに御慈悲に御慈悲 を加え給うのではないか。頭を下げて頼まれてさえ、四度五度となればもう捨てて顧みぬどころか、かえって悲境に 突き落として笑っているようなこの薄情冷酷な私を、絶えず如来は見護り愛してくださるのである。もしこの大慈悲 の如来が在さなんだであろうならば、どうしてこの浅ましい私が、かほどまでにありがたい勿体ない生活を続けるこ とが出来よう。もし如来の御慈悲に一分の緩みでもあったならば、私はもう、いつの昔に無間地獄の底に落ちて、永 劫の苦悩に沈んでいたかもわかりませぬ。しかるに、広大深重の御慈悲が在したればこそ、地獄一定の私が地獄へも 落ちずして、たとえ一刹那たりとも、他人を憐れんで物を施すというような、そんな生活も出来るのである。悪人が 悪人の生活をせずして、全く善人の生活をなしつつあるのである。三途の住家の外に一足でも出ることの出来ぬはず の悪鬼が、姿を変えて人間の生を営んでいる、それが御慈悲でなくて何であろう。私は自分の内心の暴露により裏切 りによって、どうしても生そのものの上に如来の御恩を感ぜずにおられませぬ。 人を憎んで自らを愛せられ、人を殺しつつ自ら生かして頂く、何という矛盾極まることであろうか。生の恩寵もこ こに至っては感謝の言葉さえないのであります。 |