十一    一人の自覚



一



 昔、家移りをする時、自分の妻を忘れた人があったそうだが、そんなことが実際あるものでしょうかと

尋ねた人に対して、古聖は、それは驚くに足らぬことだ、自分が自分を忘れて生活している人さえあるの

だから、と答えられたそうですが、誠に私共は常に自分を忘れて生活しているものである。不思議なよう

だが、実際これが私共の生活の有様であります。

 旅に出ていると常に故郷のことが案じられるものである。両親は壮健でいられるであろうか、妻が病気

に倒れはしまいか、子供に怪我はないだろうか、兄弟の身に変わりはないかなどと、いろいろ親しい者の

身の上のことが気にかかりて、無事な便りを待ち兼ねて暮らすことがある。けれど自分自身のことになる

と、当てにならぬと口には言いながらも、やはり大丈夫なような心持ちで、一向に危い思いも起こらず、

常に平気で忘れて暮らすことが多いのであります。そんな時にふと自己の問題に立ちかえって見ると、よ

くよく人間の愚かなことが感ぜられて参ります。私は近頃故郷のことや妻のことなどいろいろ心配致して

いる時に、静かに自分のことを考えて見ると、何だか一種の淋しい哀感にうたれるのであります。親だ兄

弟だ妻だ夫だと言っているが、それが何処までのものであるか。繋がる縁にひかれては互いに離れ難い気

持ちになって、相愛し相思い会っていても、一度銘々の心霊に立ちかえって考えて見ると、全くそれが別

々の道を辿っているのである。いくら案じても心配しても、親は親、妻は妻、自分は自分である。たとえ

同じ家に住い、同じ竈の御飯を食べ、同じ部屋に枕を並べていても、独生独死独去独来、彼は彼、我は我

である。私共はよしや幾人の家族があり朋友があっても、やはり真実の一人である。ただ一人であります。

どんなに思うても、別々に生まれたものであって見れば、やはり別々の道を辿らねばならぬものである。

孤独ということほど私共にとりて悲しいことはありませぬけれど、それが私共の実際であるから致し方が

ありませぬ。これを思う時に、私は実に堪え難い淋しさに打たれずにおられぬのであります。



二



 私共は通常、他人や外物のために大いに心を暗まされています。私共が自己の真相に気づくことのない

のは、全く他人や外物のために心を奪われているからであります。たとえ幾億万の人々が集まっていても、

もし目と耳とを閉ざしてしまうたならば、私共は直ちに真の孤独を見出すのである。ただ目があるから、

耳があるから、私共は一人でないと思っている。けれどそれは間違いである。ただ形と声とに誤魔化され

ているのである。私共はどうしてもここに真の自相に接触しなければなりませぬ。自己を忘れて他にのみ

心を奪われているほど危いことはない。たとえいつまでも忘れていることが出来ても、一度は必ずや接せ

ねばならぬのであります。それはすなわち死の時であります。私共は兼ねて壮健な時には如何に多くのた

よりを持っていても、一度死の門の前に立った時には、自己の孤独に泣かずにはおられませぬ。死は一切

を失う時である。一切を失って孤独の自我に触るる時である。死ぬる時にはどうしても私共は裸体になら

ねばならぬ。この時初めて私共は真の自我を見出すことが出来る。宗教において死の問題をやかましく言

うのも、決して死後のためばかりではありませぬ。死の時が最も私共を真面目にする時であるからであり

ます。それであるから、真実の自己を知らしめんがために、死を味わうことを勧めるのであります。浄土

真宗で常に臨終を平生にとりつめて味わえよと教えられるのも、大いにこの意味が籠っているのでありま

す。他人の身の上をのみ気遣って、常に自己を忘れている私共は、まず自分の死に深く接触して見なけれ

ばなりませぬ。



三



 今年ももうすでに暮れてしまいます。数日を経れば早や大正二年であります。思うに今年ほど私共にと

りて深く感激を与えられた年はありませぬ。恐らく私共の一生の中でこれほどの深い印象を与えられた年

はもうまたとはありますまい。畏れ多くも先帝陛下の御崩御、続いて乃木将軍の殉死、私共はただにその

事をのみ語りて済ましていてはなりませぬ。銘々に深く自身を考察して見なければならぬと思います。一

切の出来事は自己を見るの鏡として初めて意義があるのであります。畏れ多くも今占比なき聖徳ましませ

し先帝陛下の大御心は、日頃忘恩の私の上に注がれてあったのであります。私はこの大御心の上に立って

歩んでいたのでありました。私はここに尊き恩寵を私自身の上に気づかせて頂きます。さらに乃木将軍の

殉死に至りては、ただただ頭の下るばかりであります。将軍は死を以て私共の心を照らしてくだされたの

でありました。私共の心が如何に腐敗しきってあるかを手強く見せつけてくだされたのは将軍の殉死であ

ります。将軍は実に国民の鏡である。将軍の一生は、一つとして私の浅ましき実相を照らさない所はあり

ませぬ。私共はただに将軍の偉大なることを讃嘆して止むべきでない。各自自己の真相に反省して深く味

わうことに努めねばなりませぬ。

 今年は実に尊い年でありました。けれどその尊い年もすでにもう過ぎてしまいます。一切はかくのごと

く過ぎて行くのであります。親も去る、兄弟も去る、妻も去る、子も去る、ただ永遠に残るは私一人であ

ります。