十四 捨身の慈悲 前年、東北地方であったか、大飢饉の時に、その地方の人々は食う物も飲む物もなくなって、そこにもここにも、倒れて死ぬる 人がたくさん出来て、誠に悲惨な境遇に落ち込んだことがあります。その時、死したる子を抱いている母、父の屍骸に取り絶って 泣いている子、見る目もいじらしい有様であった中に、十歳ばかりの一人の子供が、不思議にも色艶少しも衰えず、壮健で遊んで 歩いている。その様子を見るに、さして金持ちの子供だとも思えぬので、どうも不思議だと皆が不審を懐いていた。ところがそれ がある役人の目に留まって、その子を呼んで、いろいろ尋ねて見られたけれど、一向に様子が知れぬ。そこで役人は、その子供に ついてその家を訪ねて行かれた。ところが誠に貧しい家で、一人の瘦せ衰えて死に瀕した婦人が休んでいました。これがお前の母 親かと言えば、子供はそうだと答える。そこで役人は母親に向かって、「この子はお前の子だそうだが、見ればお前は食べる物も なくて、如何にも気の毒な有様である。しかるにこの子はこのように壮健で遊んでいるが、全体何をこの子に食べさしているのだ。 皆の者がこの大飢饉で誠に困っているのに、お前の子供だけが少しも衰えずに育っているのを見ると、何か訳がなくてはならぬ。 今日はその訳を聞きに参った。話して貰いたい」と言えば、母親は両眼から涙を流し、ただ俯いていて答えがない。役人はいろい ろに慰めつつ強いてその訳を聞こうとするけれども、母はただ「お恥かしうございます」とのみで何にも言わぬ。役人は無理に聞 こうとする。とうとう、母親は「それでは失礼ですが、ここを御覧くだされば解ります」と言って、両腿を見せた。両の腿はほと んど骨ばかりになって肉はことごとく切り取られてあった。役人は驚いた。「さてはお前は、この肉を以てこの子を養うていたの か。どうしてそんなことをしたのか」と言えば、母は涙の中から、「私は最早これまで生きて来たのだから、このまま死んでも残 り惜しいことはないが、この子はこれからが大事な時である。今この子を殺してしまうては折角生まれた甲斐もありませぬで、ど うかしてこの子の生命が取り止めたさに斯様なことを致しました。今は飢饉だと申しても、その内にはまた食べられる時節も参る であろう。すれば、ここしばらくどうしてでもこの子の生命を支えていたら、あるいは無事にこの世に残って、また成人すること もあろうかと思いまして、密かに腿の肉を切り取りては、それを煮て、知らないように食べさしておりました」と申したそうであ ります。役人はこの言葉に非常に感じて、「それほどまでにお前がこの子を思うなら、この子だけは何とかして育って行くように 致して上げるから、もう決してそんなことをするでない。きっとこの子は俺が引き受けて育ててやる。安心せよ」と申した。とこ ろが母は、「誠に有難うござります。そうして頂けばこの子も助かり、私もこれほど嬉しいことはござりません。この御恩は死ん でも忘れませぬ」と言って大変に喜んだが、そのまま眠るように死んでしまったということであります。 私はこの話を聞いて胸を打たれました。何という親の慈愛であろう。私は思った。今その子が無事に生きていて、この話を聞い たならどうであろうか。他人事として聞いてさえ涙を催さずにおられないに、現在その子がこの事を耳にしたならば、果たしてど んな思いが湧くであろう。殊にこの母親が役人の言葉を聞いて喜んだまま死んで行ったというところに、実に申しようもない深い 深い親の慈愛が表れている。死んでおるべきはずの母親がそれまで生きていたのは何故であろうか。ただ一人の子の生命が、この 母親をしてそれまで引き止めていたのであった。それで子が育つということを知ったと共に、母親の生命は絶えてしまった。子ゆ えの親ということは、ここに遺憾なく味わうことが出来る。 この一人の子供というは実は私のことであると思います。私の現在の生活は曠劫以来の如来の血肉でつながれている。修羅の巷 と言おうか、大飢饉の原野と言おうか、悲風惨雨の荒れ狂うこの世にありて、かように有難い生活を送ることが出来るのは、後に 如来の血涙があるからではありますまいか。それをも知らずに私は今日まで、自力我慢の戯事に飛び回っていたのだと思いますと、 誠に申し訳もない次第であります。私共は、かの一人の子供の心になって味わうて見なければなりませぬ。今その子供が生きてお るとして、その話を聞いた時の胸の中を考えて見たいと思います。私はこの時の思いを表すべき言葉を持ちませぬ。申し訳がない と言おうか、有難いと言おうか、そんなことで尽くされるような思いでない。ただ涙、涙より外には無いのであります。こういう 時の心の内は、到底言葉以上である。とは言え、自分の為に生きて、自分の為に肉を裂いて、自分の為に死んでくれた母親、よし その姿は見えず、その声は届かずとも、やる瀬なかりしその慈愛の下に、胸一杯の思いを込めて、ただ一言、「お母さん」と叫ば ずにはおられない。「お母さん」、ただこれより外にはない。この一語が実に胸一杯の言葉である。ここに批評は許されない。ここ に研究は無益である。ただ南無阿弥陀仏と唱うる、その一遍の唱名の内に無限の思いが込められてあることを味わわねばなりませ ぬ。しかるに私共の胸の内はどうでしょう。五劫の思惟と聞き、永劫の修行と聞き、「菩薩利生の肌を破り、薩垂慈悲の肉を喰ら う」と教えられても、涙の味も出て来ない。よしいったんは泣いて見ても、次の瞬間にはそれが直ちに他事になってしまう。何と いう横着な心でありましょうか。如来は涙を以て南無阿弥陀仏と呼び給うのに、私共はどうして涙を以てこれに答えずにおられま しょう。涙無き答えは空虚の答えである。偽りの答えである。私共が唱うべき南無阿弥陀仏の唱名は、実にこれ親の涙に答うる子 の涙の叫びでなくてはなりませぬ。親の身肉を喰らって育った子供がその事を聞き知って、初めて驚きと感謝の涙の内に叫び出す 言葉でなくてはなりませぬ。 私共は何処までもぼんやりしていてはならぬ。いつまでもいつまでも、ああのこうのと争っていてはならぬ。宗教は決して相談 ではない。批評ではない。学問でも主義でもない。如来を知るのであります。如来の涙を味わうのであります。私は諸兄姉と共に、 かの親の腿肉で育った子供の心を失わぬように致したいと思うのであります。 |