十五 自己を忘れずに 誰でも賑やかな所を好んで淋しい所を嫌うのは人情の常であるが、これはどういう訳であるかというに、つまりこれは私共が真 の自分の相を見るのが苦しいからで、なるべく自分を忘れようとするということが人間にとりては一番愉快なことであるからであ ります。 繁華な綺麗な町を歩いていると、目に見ゆるもの耳に聞こゆるものすべてが心を奪い去って、通っている自分が誰であるかとい うことさえ、しばしば忘れられるのでありますが、殊に東京ならば浅草、京都ならば京極といったような所に参りますと、いつか 心も浮きたってしまって、ただ面白い愉快な感に満たさるるのであります。そんな所は誰も嫌だと言う者はありますまい。京極あ たりに生活している人達に聞きますと、たまたま旅に出て宿にでも泊まって見ると、淋しくて淋しくてとても堪えられぬと申す事 でありますが、これはなるほど、そうであろうと思われます。常に様々な外境の為に心を奪われて生活していた人は、自分の相を 見るということが少ないために、たまたま旅にでも出て淋しい境遇に這入ると、自分というものがまざまざ頭を擡げて目につくの で、それで堪えられぬようになるのであろうと思います。昔の人も「人間の最も欲するものは遊戯だが、遊戯は最も多く自己を忘 れさするものが最も面白い遊戯である」と申しましたが、これは真に一面の真理を語っていると思います。 如何なる場合でも、私共は自己に返った時ほど悲哀を感ずることはないのであります。打たれたとか罵られたとか、そんなこと から起こる苦痛は激しいようではあるが、実は極めて粗雑な浅い苦痛に過ぎませぬ。家庭の問題だとか人情の問題などから来る悲 哀も、ただその問題についてだけの苦しみなら左程たいしたものではないのでありますが、それ等のものが私共に非常な苦悩を与 えるというは、つまりそれ等の問題によりて今まで忘れられていた自己が明らかに認めらるるようになるからで、よしやそんな場 合でも、何か気をまぎらすものがあって、自己を忘れることが出来たら、私共はそれ等の苦悩から逃れることが出来るのでありま しょう。して見ると、やはり自己を見ることが私共にとりては一番苦しいことなのであります。 「歓楽極まって哀情多し」ということを支那の詩人は歌っていますが、あれも忘我の最中にあってふと自己を見出した時の堪え難 いやる瀬ない悲哀の情を述べたものだと思います。人は決して永遠に自己を忘れていることは出来ませぬ。ただ一時色々な外境に 乱され迷わされて歓楽に耽っていることは出来るが、必ずその内にありても自我は始終姿を顕して私の眼前に迫って参ります。た とえどんな歓楽の最中にあっても、一念この自我の姿に接しますと、人は真面目の悲哀に触れずにはおれないのであります。私共 は常にこれを見まい見まいと致していますけれども、それは到底駄目であります。いかに見まいと骨折っても、見ない訳には参り ませぬ。すべての人々が、皆何等かの悲しみを胸に隠して生活しているというのを見ても、それは分かることだと思います。 私共はこの悲哀を避けてはなりませぬ。一度でも多くこの悲哀に触れた人が、それだけ余計に生き返るのであります。自己を生 かそうとする者は、真に自己を知らねばなりませぬ。真に自己を知るには、常に自己の上に立っていなくてはなりませぬ。真に自 己を知るには、常に自己の上に立って自己を味わわねばなりませぬ。世の中に楽しみをした人より苦労した人の方が尊いというの も、つまり楽しみよりも苦労が自己を余計に知らしてくれるからであります。だから自己に生きようとする人は、徒に歓楽の影を 追うてはなりませぬ。 どんな苦悩でも常に堪えて味わって行くという覚悟が最も必要であります。歓楽の慰めよりも苦悩の慰めを知ることが大切であ ります。ニーチェも「私は苦労が人間をより善くするか否かは知らない。しかし、それは確かに我等をより深酷にする」と言い、 また「大きな喜びを解するにはまた必ず大きな悲しみを知らなければならない」と言っています。悲哀を忘れた歓楽は影の歓楽に 過ぎませぬ。真の歓楽、真の幸福は自己の悲哀の中から湧き出でた真生命のそれでなくてはなりませぬ。 パスカルという人の有名な言葉に「万有中にありて最も脆弱なるもので、あたかも蘆葦のごときものに外ならない。けれど彼は 思考するところの蘆葦である」という言葉がありますが、実際人間の尊むべき点は思考するということにあるのであります。ただ 外境に托して生きて行くというだけなら鳥や獣でも皆やって行っているのであります。彼等の生活は人間よりももっと自然に幸福 なようにさえ思われます。けれど彼等には思考するということがありませぬ。これが人間と異なっている点であります。人間は 思考うるからして彼等よりも一層多くの苦悩を持っています。そしてこの思考から生ずる苦悩が人間を尊いものとしているのであ ります。 思考うるということの最も優れたものは、自己を思考うるということであります。自己を考え、自己を生かそうとすることが、 人間に与えられた唯一の賜物であるのであります。私共は一切を捨てて、ただこれだけに生きて行けばよいのです。真の宗教はこ こから生じて参ります。私共はこの他一切の何物からも煩わされる必要はありませぬ。私共の問題はただこの一つであります。 常に静かにじっと自分を考えて参りましょう。いつも自分を見失わず、いつも自分を生かすことに努力する、ただこれだけが私 共の進むべき唯一の道であると思います。 |