十九     生命の叫び



三



生命の進展にとりて最も恐るべきは虚偽ということであります。虚偽は生命を殺します。虚偽のある所には、

あらゆる陰謀と虚飾とが行われます。そこには「ありのままの相」がすべてその影を失うてしまいます。生命は

自己充足のものであります。それゆえ、他の為にその道を変ずるようなことは致しません。しかるに虚偽の道は

他に対するの道であります。それゆえ、それは真の生命の道ではありません。私共は何故泣くのでありましょう。

何故苦しむのでありましょう。悶えたり怒ったり悔いたり妬んだり致しますのは何故でありましょう。それは皆

真実の自己でない自己を飾ろうとするからではありますまいか。真の生命の道でない道を辿ろうとするからでは

ありますまいか。人生にとりて最も悲惨な事実と言うべきものは、この真実の自己の生命を失うていることであ

ります。自分の生命を忘れたところに何の光がありましょう。生命の目の覚めていない人生は畢竟暗黒の人生で

あります。虚偽の人生であります。真に生きようと思う人はまずこの虚偽を脱せねばなりませぬ。そして真実の

自己に帰らねばなりませぬ。生命は常に私共の胸の奥に湧き立っています。どんな大盤石をも衝き破って大噴火

を試みようと煮え返っています。生命の進路には踊躍がある。歓喜がある。そこには永遠の春の光が溢れていま

す。

 私は近頃、殊に時ということを著しく感ずるようになりました。私の泣いているときでも、笑うているときで

も、時は用捨もなく私を奪うて行きます。私のいろいろと考え惑うているときでも、時は私の為に止まってくれ

ませぬ。ずんずん進んで行ってしまいます。私は大切な自分の生命がこの時の為に無意義に失われて行くことに

対して堪え難い思いが致しました。こうして一生が経ってしまうのかと思いますと、涙が流れて参ります。私は

こうした思いに幾度泣いたことでありましたろう。始終、時の圧迫に対して涙を絞ったことでありました。しか

し私は一度自己の大生命力を感じたとき、時は進軍の喇叭であったことに驚きました。生命を奪うたものは時で

はなくて私自身であったことに気づきました。何一つ無意義なものはない。生命は常に向上せんとしつつあるで

はないか。生命をして赤裸々に生命の道を辿らしめよ。そこに光がある。救済がある。



四



 私はまた真の生命の道が真の道徳であると思います。それは一切の虚偽を脱しているからであります。他の為

に曲げられたる道徳は虚偽の道徳である。赤裸々に生命さながらの道であってこそ、それが真の道徳と言わるべ

き価値があるのではありますまいか。ただしこの場合注意すべきことは、いわゆる我欲と言わるべき私情の欲望

を以て直ちに生命そのものと混同して考えてはならぬということであります。真の生命には一点の虚偽もあって

はならぬと同時に、また一点の私情をも許容されぬことを思わねばなりません。一切の欲念を離れ、一切の思慮

分別を絶して、真に純潔無垢の本然の生命の上に立ってこそ、そこに初めて真の道徳が表現せらるるものである

と思います。かくのごとき道徳は、それが直ちに宗教でなくてはならぬのであります。