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覩見諸仏浄土因 諸仏の浄土の因
国土人天之善悪 国土人天の善悪を覩見して
建立無上殊勝願 無上殊勝の願を建立し
超発希有大弘誓 希有の大弘誓を超発せり
浄土の因
正信偈を続けて拝読致します。阿弥陀様は未だ法蔵菩薩であられた時、師であられた世
自在王仏の御指導の下に十方に在す仏様のそれぞれのお浄土の因、即ち国是とか憲法とか
に当たるものと、浄土の人天の善悪を観察なさって、その上で一切の仏国土に勝る国を建
てようと願を起こされ、比類なき誓いをお立てになりました。阿弥陀様は極楽国土の国是
或いは憲法として四十八の願を立てられましたが、始めに諸々の仏国に通じる願として、
国に地獄、餓鬼、畜生があってはならぬと誓われました。三悪道と呼ばれるこの三つの境
涯は穢土を穢土たらしめるものですから、苟(いやしく)もお浄土と言われる処に有ることは許されま
せん。阿弥陀経の中では「極楽と名づける訳は、その国の衆生には諸々の苦しみがなく、
ただ諸々の楽しみだけを受けるからである」と書かれてあります。浄土には苦しみがあっ
てはならないのですから、苦しみの原因である煩悩があってはなりません。数ある煩悩を
統括すれば、瞋恚、貪欲、愚痴の三毒の煩悩となります。そしてこれらが縁あって現実化
すれば地獄になり、餓鬼になり、畜生となるわけでございましょう。極楽浄土に地獄、餓
鬼、畜生がないことは三毒の煩悩があってはならぬことでございましょう。ところが人間
は、今は地獄、餓鬼、畜生の三悪道から離れていても、心の内には、この三悪道に堕ちる
原因である三毒の煩悩を深く蓄えているのでございます。地獄、餓鬼、畜生に阿修羅、人
天とこの六つの境涯を六道と申しますが、阿修羅はもとより、人も天も三悪道に堕ちる因
を持っておりますから、六道の輪廻があるのでございます。私達人界にあるものも、この
三毒の煩悩を無くしてしまえば、穢土と縁が切れて立派な浄土の住民になることが出来る
のでございますが、それが大変なのでございます。煩悩を断滅する修行を積んで、その段
階に応じて、声聞縁覚と呼ばれ自らの悟りだけでなく他人をも共に悟らしめようとする時
菩薩と呼ばれ、その最上の境涯が仏様でございます。仏様は浄土の住民が命終わった後で
も再び三悪道に堕ちることがないように願われております。然しこの願はなかなか叶いそ
うにありません。私達は生まれてから死ぬまで、この三毒の煩悩から離れることは出来な
いようです。私達が生きているということは、この煩悩の働きにほかならないように思わ
れます。宗祖聖人は「凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く瞋り腹
立ちそねみねたむ心多く、間なくして、臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず」
(一念多念文意の善導「法事讃」の文「致使凡夫念即生」の文意を釈する一段に出ず)と仰せられました。
阿弥陀様は六道を輪廻せざるを得ない私達を何とか救いたいと、地獄の底まで身を投じて下さ
るのです。私達と一緒に地獄の底まで来て下さる阿弥陀様、私達は阿弥陀様と御一緒に、
阿弥陀様のお袖に包まれて地獄に堕ちるのです。私達にとっては阿弥陀様のお袖の中がお
浄土なのでございます。六道の中で阿修羅、人、天を三善道と申しますが、諸仏のお浄土
はこの三善道と、声聞縁覚、菩薩を住民としておられます。三悪道は除き捨てられるので
ございますが、阿弥陀様はこの除き捨てられる衆生をお見捨てになることが出来なかった
のです。三悪道に呻吟する衆生、実はそれが衆生の大部分なのですが、それらの衆生を何
とか救わんが為に随分の御苦労があったのでございます。そうした切りのない御苦労を覚
悟の上で何とかして救い取りたいと願われ、必ず願を果たさずにおかぬと誓われました。
建立無上殊勝願、超発希有大弘誓とは、そうした願建立の経緯をお詠みになっているので
ございます。阿弥陀様は極楽の憲法とでも呼ぶべき四十八願をお立てになりました。その
中で国中人天とか、国中菩薩とか、国中声聞とかに願がかけられ、又国際的ともいうべき
他方の仏国の住民に対しても願が立てられております。その中で三つの願は十方衆生と申
しまして、総ての生きとし生けるものに対して立てられております。お念仏は阿弥陀様の
私達への、切ない願の呼び声であり、又その呼び声に呼び覚まされた私達の応答の声でご
ざいます。
南無阿弥陀仏
平成三年十二月
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