普放無量無辺光      普く放無量無辺光

無碍無対光炎王      無碍無対光炎王

清浄歓喜智慧光      清浄歓喜智慧光

不断難思無称光      不断難思無称光

超日月光照塵刹      超日月光を放って塵刹を照らす

一切群生蒙光照      一切の群生光照を蒙る



十二の光



 皆さん御承知の通り、阿弥陀という仏様のお名前は印度古代のサンスクリット語で、中

国語では無量寿·無量光と訳されております。無量寿とは仏様御自身の量りない御寿命の

事でございますが、光明はそれを受ける側から色々な仏様のお徳として拝まれます。大無

量寿経の中では「無量寿仏をば、無量光仏·無辺光仏·無碍光仏·無対光仏·炎王光仏·

清浄光仏·歓喜光仏·智慧光仏·不断光仏·難思光仏·無称光仏·超日月光仏と号す」と

説かれております。この事を親鸞聖人は正信偈の中で「普放無量無辺光、無碍無対光炎王、

清浄歓喜智慧光、不断難思無称光、超日月光照塵刹、一切群生蒙光照」とお示しになりま

した。この十二の光明の徳を以て示される仏名を十二光仏と申します。現在、茨城県の牛

久という町に御身丈百二十メートルの阿弥陀様の銅像が東京本願寺(現在の浄土真宗東本願寺派

本山「東本願寺」のこと。当時はまだ東京本願寺といった。)
によって建立されつつあります。この大

仏の御身丈を百二十メートルに御決定になった御法主台下(東本願寺第二十五世御法主、大谷光紹

台下のこと。)
の御意図はこの十二光仏に由来したのでございます。

 この仏様の沢山の光明のお徳は、最後のお名前が超日月光仏と申し上げますように、私

達の住んでいるこの世の光を超えた光明でございます。この世の光は、概ね昼は太陽夜は

月によってもたらされていると言わねばなりません。この光は何れも私達の眼で見られる

ものでございますが、然しこの世にも私達の眼で見られない光もあることは、昨今のレン

トゲンによって証明されます。仏様のみ光はこのレントゲンにも勝って、あらゆるものを

見通す光でございます。レントゲンは金属等では遮られますから、金属の中を見ることは

出来ません。レントゲンは、この光線の通らないものがあることで透視に利用されている

のです。然しこのみ光は、肉眼で見ることは勿論、写真に写して見ることも出来ません。

どうしてそのみ光のあることを証明するかと申しますと、経典の中では「其れ衆生有りて

斯の光に遇う者は、三垢消滅し、身意柔軟に、歓喜踊躍して善心生ず、若し三塗勤苦の処

に在りて、この光明を見たてまつれば、皆休息を得て復(また)苦悩無く、寿終わるの後皆解脱を

蒙る」と説かれてあります。私達の心の変化が証明するわけでございます。この経典の中

にも「光を見たてまつれば」とございますが、肉眼で見ることの出来ぬみ光を何によって

見るのでございましょうか。宗祖聖人は不断光仏を称揚せられる御和讃を「光明てらして

たえざれば 不断光仏となづけたり 聞光(もんこう)力のゆえなれば 心不断にて往生す」と詠まれ

ました。経典で光を見ると書かれているのは「光を聞く」ということでございます。仏様

は観音菩薩としてお働きになる時は世の音を観ておられます。移ろいのない常住の世界か

ら、無常の移ろいの世界を観ておられます。それに対して信を得るということは「光を聞

く」即ち聞光力を得ることであります。常住の仏様のお慈悲を、無常の世界にあってお念

仏として聞かせて頂くのでございましょう。ドイツのヘルマン·へッセという詩人の言葉

に、「太陽は私達に光で話す。香りと色で花は話す。雲と雪と雨で大気は話す」というの

があります。又、「本物には必ず霊気が立ちのぼっている」と語った人があります。私達

はこの世で本当に太陽の光に触れようと思うならば、耳を澄まして太陽の光に聞かねばな

りません。野辺の草花も香りと色とに聞かねばなりません。大気も雲や雪や雨を以て語り

かけているのです。心を澄まして聞き耳を立てましょう。私達が心を澄まして聞き耳を立

てるならば、耳に聞こえるお念仏の中に、仏様の限りない慈悲の光を見ることが出来るの

ではありますまいか。お念仏は仏様の量りないみ光から私達に射し込んで来る光線なので

す。閉め切った雨戸の節穴から射し込んでくる一筋の光線が暗黒の部屋を明るく照らし出

すように、私達の煩悩の厚い壁に出来た一つの穴から射し込んでくる仏様のみ光、そのみ

光は実は厚い煩悩に何とかして穴を開けてやりたいと御苦労下さって、漸く開けられた穴

から私達の心の中に射し込んで下さっているのです。その光線に照らされて無数の塵埃が

見えて来るように、仏様のみ光の中に私達自身の姿が照らし出されて参ります。漸く自身

の正体に気付いて、頭の下がった時、南無阿弥陀仏のお念仏が漏れ出るのです。



南無阿弥陀仏



平成四年二月