印度西天之論家 印度西天の論家 中夏日域之高僧 中夏日域の高僧 顕大聖興世正意 大聖興世の正意を顕し 明如来本誓応機 如来の本誓機に応ぜることを明かす 清き流れ 西方遙か彼方にある印度の国の論師達、中国や日本国の高僧方は、何れもお釈迦様のこ の世にお出ましになられた正しい謂われを顕し、阿弥陀如来の御本願が末世の私共の救わ れる唯一の方途であることを明らかにお示し下さっています。 印度の論家とは色々な論書をお著しになった龍樹菩薩、又浄土論をお書きになった天親 菩薩の事でございます。中国の高僧とは曇鸞大師、道綽禅師、善導大師の事ですし、日本 国の高僧とは叡山の源信僧都と親鸞聖人のお師匠様の法然上人でございます。この七人の 方々を七高僧と申し上げております。今日私達がこうしてお念仏を称えるようになったの はお釈迦様以後沢山な高僧方がこのみ教えを伝えて下さったお陰です。それらの沢山な高 僧方を代表して七人の方々を挙げられたのでございます。昔から七という数字は、最上と か完全とか多数とかを表わす時に用います。お釈迦様がこの世にお出ましになる前に、過 去七仏と申しまして七仏が説かれております。又阿弥陀様がお出ましになる迄には五十三 仏がいらっしゃったと示されておりますが、これは阿弥陀様もお釈迦様も、そして親鸞聖 人もお念仏のみ教えの大きな流れの中にお出ましになられたということでございましょう。 従いまして私達の頂くお念仏も、過去久遠劫来の大きな流れの一雫を汲ませて頂いている わけでございます。昔からお念仏を喜ばれる方々は「ご法義のお流れを汲ませて頂く」等 と申されました。 甲斐和里子先生(明治·昭和初期の女子教育者。西本願寺勧学、足利義山の五女)のお歌に、 岩の根も 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる というのがございます。勿論このお歌はご信心を得られた人の何物にもこだわらない心境 をお詠みになったものと存じますが、すべての障害を乗り越えて一筋の川となって流れて 下さるお念仏の清き流れが、私達を養い育てて下さるのではないでしょうか。七高僧と申 し上げる方々の年代の開きも千年以上でございますが、お釈迦様からは二千五百年以上、 お釈迦様までの過去七仏の年代を数えれば久遠劫来と申すより外ないのでございましょう。 そうしたお慈悲の流れの中で、お釈迦様は私達のために阿弥陀様の御本願をお説き下さい ました。親鸞聖人は御和讃で、 生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける とお示し下さいました。この仏様の親心の船にのせられて、私達は又、 娑婆永劫の苦をすてて 浄土無為を期すること 本師釈迦のちからなり 長時に慈恩を報ずべし と歌われるように、お釈迦様のみ教えの御恩を肝に銘ずべきでございましょう。このお釈 迦様のみ教えが七高僧という川を通じて私共にまで流れて下さったのでございます。 お釈迦様は私達を苦しみからのがれさせ楽しみを与えるために、八万四千の法門と言わ れる程沢山のみ教えをお説き下さいました。然し時代がお釈迦様から遠離(とおさか)るに従いまして、 或いは忘れられたり、或いは疎んぜられたりして次第にこの世から隠れてしまいましたが、 唯お念仏の教えだけは時代が下り、世の中が濁れば濁る程、これしかない大事なみ教えと していよいよ私共を照らして下さっております。腹が立てば腹立ちをご縁として、こぼれ る愚痴の合間合間にお念仏させて頂きましょう。それによって私達には来世のお浄土が堅 く堅く約束されるのでございます。七高僧のお伝え下さるみ教えは、お釈迦様のこの世に お出まし下さった正意を顕して下され、それが又、阿弥陀様の御本願が、ほとりない生死 の苦海に呻吟する私共、末世の凡夫をこそお目当てにして下さっていることを、明かして 下さっているのです。 吉水の 流れの末の 広ごりて 四方にみちたる 法のとうとさ 蓮 月 尼 平成四年十月 |