天親菩薩造論説      天親菩薩、論を造りて説き

帰命無碍光如来       無礙光如来に帰命し

依修多羅顕真実       修多羅に依りて真実を顕し

光闡横超大誓願       横超の大誓願を光闡したもう



平生業成



 天親菩薩は「浄土論」を造って、その教えを説かれた。即ち自ら尽十方無礙光如来に帰

命して、「大無量寿経」によって、真実功徳の顕れたまえる名号、及びそのおいわれの実現

せる浄土の荘厳を私共に説き顕し、横超他力の誓願の意義を広く宣べ示されました。

昭和天皇が御崩御になって年号が平成に改められましてから、早や五年目に入りました。

平成という年号にも馴染んで参りましたが、最初に平成という年号を聞いた時、私は咄嗟(とっさ)

に平生業成(へいぜいごうじょう)という言葉を連想した事を思い出します。先般の報恩講の時の御講師臼井静雄

先生も、御法話の中で宗祖親鸞聖人のみ教えの特色を英語で、リアリストという言葉で表

わし、仏教の言葉では平生業成であるとお説きになっておられました。平生業成という言

葉は正定聚の位とか不退の位等とも表わされ浄土往生の確定した境涯のことでございます。

又、やがて天皇に即位されることの決まった皇太子の位に例えられ、親鸞聖人は、必ず仏

になられる事の決まった弥勒菩薩に同じ境涯であると申されております。

 さて私達は毎日安気に日暮らしをさせて頂いておりますが、安気だということは、根底

に安心感があるからでございましょう。安心がなければ、私達は何も彼もを疑わねばなら

なくなってしまいます。三度の食事に気を配り、夜もおちおち寝られない。外へ出れば七

人の敵では私達はとても長生き出来ますまい。三度の食事は家族が作ってくれ、雨露を凌

ぐ家屋のお陰で夜は安眠することが出来、外へ出ても警察等のお陰で無事に敵から守られ

て用が果たせ、そして無事に命が保てましても、私達にはどうしても逃れられない最後の

関門がございます。昔一休禅師が「元旦は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くも

なし」と仰しゃったそうですが、私達の行き先には冥土が待っているわけでございます。

安心も、この冥土の先が見通せなければ、本物ではありますまい。私達は行き先が判然と

した時始めて旅を楽しむ事が出来るのです。私達は皆、それぞれ仕事を持って日を送って

おります。それを生業と申しますが、この生業はこの安心感に裏打ちされていなければ、

決して充実することは出来ません。冥土の先を見通すことは出来ませんが、娑婆と冥土の

垣根を超えられた仏様の「我を頼め、必ず救う」と仰せられるお言葉を信じて、仏様のお

袖に縋って、仏様と御一緒に冥土の旅を歩ませて頂く時、私達に本当の安心が与えられる

のでしょう。そうした安心に裏打ちされた生業、仏様のみ名を称えるお念仏に充たされた

生業が、この平成の世の中で営まれる時、平生業成が実現するのでございましょう。

 天親菩薩というお方は、龍樹菩薩から二百年程後、従ってお釈迦様から七百年程の後印

度にお生まれになりました。御兄弟は男三人で、菩薩はその真ん中でございました。兄様

は無着と申され、大変優れた大乗仏教の学者であられました。天親菩薩は始めは小乗仏教

の優れた学者でございましたが、兄の無着様の教化によって大乗に転ぜられ、後には唯識

三年倶舎八年等と言われるような難しい論書を沢山著されました。後に御自身の信心を告

白せられて浄土論をお著しになりました。そして、私達の生業を裏打ちしている安心が、

信心であり、この信心とは仏様の救わずには置かぬとの御誓願にお委せする他力であると

お示し下さいました。親鸞聖人の御和讃には、

   信心すなはち一心なり

      一心すなはち金剛心

      金剛心は菩提心

      この心すなはち他力なり

とお示し下さっております。一心というのは仏様の親心が私達に届いた時、親子の心が一

つであるように、仏様のみ心と私達の心とが一つになったということでございます。仏様

のみ心でございますから金剛心でございます。私の心でもございますから菩提心でござい

ましょう。何れにしても仏様の御はからいでございます。



平成五年一月