道綽決聖道難證      道綽、聖道の証し難きことを決して

唯明浄土可通入      唯浄土の通入すべきことを明かす

萬善自力貶勤修      万善の自力勤修を貶し

円満徳号勧専称      円満の徳号専称を勧む



身に聞く



 龍樹菩薩は難行易行の名を以て、曇鸞大師は自力他力の名を以て、仏教を二つに分けて

お示し下さった後に、道綽禅師は聖道門、浄土門の二つに分けて、その内聖道の法は、今

日の私共にとっては証り難いことと定め、ただ浄土の一門のみが私共の通入し得る道であ

ることを明らかにせられました。そして禅師は自力の考えで修行する万善諸行をほめたま

わず専ら功徳円満の御名を称えることをおすすめになりました。

 お釈迦様がおかくれになってから五百年程の後、龍樹菩薩様その後又二百年程して天親

菩薩様が、それから三百年程の後曇鸞大師様がお出ましになり、どうすれば衆生がこの世

の苦しみから脱して安楽の悟りの境涯に入ることが出来るか、力強く賢明なものだけでな

く、力弱く愚かなものも、少しでも多くのものが悟りを得るようにと色々御苦労下さって、

賢者の為の難行道よりも愚者の為の易行道を、力弱きものは他力を頼めとおすすめ下さい

ました。道綽禅師という方は曇鸞大師より七十年程後にお出ましになったのでございます

が、始めは学者として大乗の諸経典を御研究になり、分けても涅槃経には御造詣が深く何

百回となく御講義をなさったようです。然し、学問としては分かっていても、我が身御自

身の上にはその教えがしっくりと頂かれなかったようです。後に曇鸞大師縁の玄忠寺に詣

でられて、そこで曇鸞大師を記念する石碑を拝まれて、仏様の教えは学問ではない、我が

身の上にお慈悲を頂くことであると気付かれて、浄土門こそが末世の力弱きものの為の法

門であると悟られました。

 私共のこの社会は次第に便利になり、欲望の満たされる率も段々と大きくなるように思

われます。物は豊かになりましたし、自由の領域も段々広がって行くようです。社会は進

歩発展して次第に良くなっているように思われますが、反面、歴史は「我の自覚史」と言

われるように自我意識や権利の主張だけが強くなって、お互いに助け合う社会のなごやか

さは次第に失われて行くようです。仏教では、正像末と申しまして、仏様(釈迦牟尼仏を指す)

の御在世の時代(正法)、仏様がおかくれになっても、まだ余薫の残っていた時代(像法)、

仏様と段々御縁が薄くなって自我意識だけが強くなる時代(末法)、いよいよ仏様との御縁

が切れて、仏様と無関係の時代(法滅)と世の中は段々悪くなって、次の仏様(釈迦牟尼仏は、

自分の滅後五十六億七千万年後に弥勒仏がこの世に現れると予言した。今はその弥勒仏を指す)
がお出ましに

なるまで、暗闇の時代になると説かれております。静かに振り返ってみますと、今日は昔

より良くなったと許りは言えないで、段々悪くなって行くようにも感ぜられます。私共は

ともすれば悪い世の中のせいにしますが、世の中が悪いということは、私が悪くしている

のです。道綽禅師は末世の時代を感ぜられ、この荒んだ社会を作っている私自身の上に、

曇鸞大師様のお声を、石碑の碑文を通して聞かれました。そして、自力修行の門は、この

様な自分には及びもつかぬと感ぜられ、そうした私共をこそ救わずに置かぬという仏様の

御本願に出会われたのでした。

 私共は中々自力が無効(効力が無いこと)であるとは思えません。やる気さえ起こせば大概

の事は出来るように思います。然し、寒い朝、布団の中で起きようか、寝ていようかと思

案をしている様なもので、私共は起きようと思えば起きられる、寝ていようと思えば寝て

おれると思い、どうしようかと迷います。然しこの迷っているということは、実は寝てい

るということです。自分は善い事もしていないかも知れぬが悪い事もしていないと申しま

すが、何もしていないつもりでも、生きているということが、実は自我を振り回して他を

傷つけながら生きているのです。迷っているということが、実は地獄一定の業の日暮らし

をしているということです。道綽禅師は、蓮如上人のお言葉をかりますれば、「罪ふかき浅

ましき身なりと思い取」られた上で「か、る機までも助けたまえる仏は阿弥陀如来許りな

り」と曇鸞大師様のみ教えをお聞きになったのでした。私共の救われる道は、唯お慈悲に

すがってお念仏するだけでございます。                           合掌



平成五年五月